2016/10/19
久々に・・・
旅ブログ更新しました
興味のある方はどうぞ→うっかりトラベラー
先日から腰が痛くて
17日に仕事中とどめをさされた
仕事が終わって整形外科に行ったら
腰の骨が曲がってる上
神経を圧迫してるんだそうな
手術をするまではいってないが一歩手前なんだとー
いつもリクライニングチェアで居眠りしてるのが仇になった

先日、仕事で車移動中
道路にカラスが10羽以上たむろしていた
あまり見ない光景だったので何かと思ったら
子猫の死骸を突っついていた
さて
あなたは今の話をどう感じただろうか
「子猫がかわいそう」
そう感じる人が多いのではないかな
では、なぜ子猫がかわいそうだと思ったか
説明はできますか?
先に私がその光景を見たとき何を思ったか話しましょう
「生態系の一部」
ただそれだけです
「子猫がかわいそう」と強く思う人は
特に保護活動に熱心な人が多い傾向にあると私は感じています
ペットとは?
愛玩を目的として動物を飼育することです
「ペットじゃない、パートナーだ!家族だ!」と言い張る人もいますが
それは飼い主の気持ちであって、対外的に主張するものではない
(一応言っておくと、「思うのは自由」)
狩猟を目的とした動物や害獣駆除を目的とした動物の飼育
人間は飼育する動物に対し安定的な食事を与え
動物は対価としてそれぞれの本能に沿った能力で
家畜や農作物の安全、狩猟による人間の食糧確保を手伝う
こちらの方が
お互いの生活に深く関わる分
家族・パートナーと言われても違和感ありません
ペットとは?上でも書きましたが愛玩目的です
人間は飼育する動物に対し
安定的な食事と身の安全を保証し
動物は対価として・・・
「癒し」「娯楽」を提供する
私は特に犬や猫といったペットに対する
一般的な考え方は矛盾に満ちていると考えています
昔ながらの人間と動物の関係と
ペットという愛玩目的の関係
両方利害の一致という分には同じですが
ペットという存在は動物として正しい在り方なのか?
「食事をして排泄をして命に限りがあるぬいぐるみ」みたいなもんだろう
そういった愛玩目的のために
保護や里親の斡旋をしているというのを
保護団体などは理解しているのだろうか
犬や猫は他の動物よりも可愛いもので
保護してしかるべし人間と一緒に居て
室内で飼育されて当たり前
・・・と短絡的な考えが蔓延しているのではないか
それは人間のエゴでしかない

さて
ここまで書くと
私が動物を保護する人や保護団体
里親を批判している様に読めますが
基本的に私はこれらの活動に反対どころか
応援したいと思っている人間です
人間はエゴの塊です
人間は文明を築くため、科学の進歩の為に
地球上のあらゆるものを犠牲にしてきましたし
人間の癒しの為に動物を利用するのもまたエゴです
私はそういったものを否定しないし
猫を飼うのも自分自身のエゴと理解している
嫌悪すべきは「犬の為」「猫の為」「動物の為」と
動物の気持ちを代弁した気になっている人々である
そういった意味では批判はします
最初の話に戻りますが
子猫の死骸を突っついていたカラス
これは悪ですか?
記事が気に入ったらでいいので


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